2011年03月08日

Kirsty Mac "CollComplainte Pour Ste Catherine"

ショーウィンドウの中はもう春一色。本番まであと一歩、なこの時期にふさわしい、うきうきする曲を選んでみました。
 
Kiteロンドン出身のシンガー・ソングライター、カースティ・マッコールによるカバーで、アルバム“Kite”の最後を飾るナンバー。日本では、ポーグスのクリスマスクラシック、“Fairytale of New York”のデュエットのお相手として認知されているようですが、本人名義のアルバムもなかなかすてきなんです。
 
オリジナルはカナダのフォークデュオ、ケイト&アンナ マッギャリグルのローカル色あふれる一曲(ケイトはルーファス&マーサ・ウェインライト兄妹のお母さん。先頃闘病の後召されました。R.I.P.)Ste Catherineは、乙女・女学生の守護聖人ですが、この曲ではモントリオールの目抜き通り(サントカテリーヌ通り)にもひっかけていて、激寒(マイナス30度!と歌詞にあり)の街をうろつく彼女のひとりごと、的な内容。ちょっと野暮ったいけれどウォームな伴奏にのせしみじみ歌っていたのが元々のスタイルでしたが、カースティは真逆の音をぶっつけて、全く違うイメージの曲に仕立てています。
 
彼女が選んだのは、西アフリカの音楽、ハイライフ。にぎにぎしいホーンセクションを引き連れ、疾走するエレクトリック・ギターが印象的な音楽です。童謡を思わせるメロディーに、カースティの色気を感じさせないイノセントな声がマッチして「無邪気なばか騒ぎ」の音楽が誕生しました。
 
天駈ける勢いのギターの音色が、ゆるんできた3月の空にすいこまれるようで、爽快。桜一色の春のうたもけっこうですが、こういうからっとしたのもまたよろしいんじゃないでしょうか。
 
Youtubeでは残念ながら試聴できません。収録されているアルバムは、上質の甘酸っぱいギター・ポップがいっぱい詰まっていて、いい感じの「女の子っぽさ」にも満ちています。ぜひお試しあれ(ちなみにこの曲ともう一曲だけ、フランス語で歌っています。 

□同じアルバムでの彼女はこんな感じです。
http://youtu.be/lOKWqtocXWs
http://youtu.be/46pfPVE5q1o

□The Smithsのカバーもやってます(ギターはジョニー・マー本人!)
http://youtu.be/2Ic5PlEwivk




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2010年03月18日

MAREVA GALANTER マレーヴァ・ギャランテール

Youtubeでフランス・ギャルの「娘たちにかまわないで Laisse tomber les filles」のビデオを探していたら、カバー曲らしいビデオがリストにあった。Mareva Galanter なんて名前聞いたことないなあと思いながら再生ボタンをクリックしてみた。最初はマジで自分の知らないフレンチ・アイドルが存在していたのかと思った。ビデオの60年代風のチープな作りにまんまと騙されてしまったのだった。ガレージのような独特なアレンジと、お下げ髪のマレーバのコケティッシュな仕草に一発で魅せられてしまった。誰が何と言おうと、これはフランス・ギャルのベスト・カバーだ。



マレーヴァ・ギャランテール(Mareva Galanter)。1979年2月4日、タヒチ生まれ。彼女の名前は「流れ星」を意味するらしい。1m78の長身とエキゾチックな美貌で、14歳からモデルとして仕事を始める。1998年のミス・タヒチに次いで、1999年にはミス・フランスに選ばれる。その後、テレビのバラエティー番組の司会者も努めるが、中でも M6 AWARDS のプレゼンテーターとしての仕事が代表的。女優としても、映画やテレビドラマに出演。パリ在住で、デザイナーのジャン・カステル・ド・カステルバジャック Jean-Charles de Castelbajac(Max Maraの仕事で有名)と生活を共にしている。彼はマレーヴァにアルバムで曲を提供し、マレーヴァは彼のイメージモデルの仕事もしている。

そして問題のデビュー・アルバムは2006年に発表された(翌年の12月にはRambling Records から日本盤が発売)。タイトルは「ukuyéyé」で、ウクレレとイエイエをくっつけたもの。ウクレレはマレーヴァが小さいころタヒチでいつも耳にしてた楽器だ。イエイエはフランス・ギャル、フランソワーズ・アルディ、シェイラに代表されるフランス60年代のロックシンガーを指すが、要はイエイエのリバイバル・アルバムだ。思い出深いことには(といってリアルタイムで聴いたほど年じゃありません)、伝説のフレンチ・ロリータ、ジャクリーヌ・タイエブ Jacquerine TAIEBの曲、「7 heures du matin」「On roule à 160」もカバーしている。

2枚目のアルバム「Happy Fiu」(2008年)は Little Barrie というバンドと組んでイギリスで録音されている。プライマル・スクリームのマーティン・ダフィーも参加。


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5 親しみやすいフレンチポップス





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2010年03月12日

Charlotte Gainsbourg "5:55"

charlotte.jpgセルジュ・ゲンズブールといえば、フレンチ・ポップスを語る上では避けられない大御所。みずから歌うのはもちろんのこと、ブリジット・バルドー、ジャンヌ・モロー、そしてジェーン・バーキンなど数々の女優たちを歌わせては、彼女たちの新たな魅力を世に知らしめました(ついでに浮き名を流しちゃったりもしてました)。ゲンズブール・プロデュースの名盤はいろいろあれど、私がいちばん好きなのはバーキンとの間の娘、シャルロットが15歳のときに出した「シャルロット・フォーエヴァー」。これはセルジュが自分と彼女を主演(おまけに親子という設定)にして監督した同タイトルの映画のサントラで、映画もアルバムも、父と娘というには濃厚すぎる関係を描いたかなりヤバーイ内容だったんですが、それをサラリと表現するシャルロットは、別段いやらしい感じもせず、不思議な雰囲気のある女の子だなあと思っていました。にしても、自分の父親とデュエットして、 "Amour de ma vie" と語りかけるなんて、日本人ではなかなかできませんな〜。


セルジュはその後もスキャンダラスな人生を歩みますが、シャルロットは父親に対して愛情と尊敬を失うことはありませんでした。「フォーエヴァー」以降、シャルロットがマイクの前に立つことはなく、91年にセルジュが亡くなったときは相当ショックだったようで、彼女の歌声は永遠に聞かれないかと思われました。

それから5年ののち、「ラブ etc.」(1996)という映画のなかで彼女が1曲だけ披露してくれたことは嬉しい驚きでした(いい曲でした)。それでも彼女が本格的に歌うことはないだろう、と思っていたら、なんとここへきて20年ぶりに新アルバムが出るというニュースが。それも映画とタイアップしたものではないオリジナルもので、バックにフランスの2人組エールが、さらにプロデュースにレディオヘッドも手がけるナイジェル・ゴドリッチがつくという、私のツボをおさえまくった人選!早速先日発売されたこのアルバム「5:55」を手に入れてまいりました。


1曲目から、エールとすぐ分かる気怠い音に、シャルロットのはかなげなヴォーカルが重なり、「フォーエヴァー」のときとはまた違う彼女の一面を発見できます。大人っぽくなった彼女の声(当たり前か)は、ちょっとお母さんのジェーンを思い出させるときもあります。エールの2人も、彼女の声の魅力を損なわない、じつに「いい仕事」をしていて、両者のファンの期待を裏切らない好アルバムです。


“5:55”
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シャルロット・ゲンズブール
ワーナーミュージック・ジャパン (2006/11/08)
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2010年03月07日

ミッシェル・ポルナレフ Michel Polnareff

polnareff01.jpg私が生まれて初めて買ったレコード、それはミッシェル・ポルナレフだった。当時、中学1年生だった私は外国語サークルに所属していて、一緒にフランス語を勉強していた菊池君に教えてもらったのだった。外国語サークルには、自称ソ連の共産党員でロシア語をやっている先輩や、中東情勢に詳しく、アラビア語が話せる先輩などがいたが、私が最もシンパシーを感じたのはフランス語をやっていた先輩だった。なぜらならその先輩はやたらと女性にモテたのだ。私はフランス語をやるしかないと決めた。思えばこの不純な動機が今の不幸の始まりだった。

しかし、同学年にはライバルがいた。それが菊池君だった(今や東大の薬学系の先生だ)。フランス語をやろうと決めたはいいが、私はフランスのことなどまるで知らなかった。しかし、菊池君はフランスでいちばん流行っているミッシェル・ポルナレフとかいう歌手のアルバムを持っていたのだ。

Je cherche un job, job, job, job, job, job
Pour aller lui acheter sa robe
Job, job, job, job, job, job
Pour un jour lui enlever sa robe

菊池君は私に「Je cherche un job」という歌の歌詞カードを見せ、この意味わかるかと聞いてきた。挑発的な口調だった。こんなもの簡単さと、辞書をひきひき、直訳でなんとか意味はとれたが、ウブだった私には意味する状況がさっぱりわからなった―俺は仕事を探す。彼女に服を買ってやるために。俺は仕事を探す。いつか彼女の服を脱がせるために―何でせっかく彼女に買ってあげた服を脱がせるわけ?

「ジョブ」はあまり有名ではないが(シングルのB面)、ポルナレフの最も有名な曲といえば「シェリーに口づけ tout tout pour ma chérie」だろう。授業中にかけても、誰もが知っていると手を挙げる。今もときどきCMに使われ、98年のフランス開催のW杯では日本のナショナルチームの応援ソングがこの歌の替え歌だった。今の学生は「シェリーに口づけ」を聴くと、「ウォーターボーイズ」を思い出すらしい。

日本で「シェリーに口づけ」がリアルタイムにヒットしたのは、1971年のこと。フランスではすでに2年前に発表されていたが、日本では1971年8月にCBSソニーよりシングル盤「シェリーに口づけ」と、ファースト・アルバムに「シェリーに口づけ」を追加収録したアルバム「愛と青春のトルバドゥール」が発売された。今ではフランス語の曲が日本で売れることはありえないが、当時は日本各局のラジオチャートでトップに入り、40万枚を売り上げる大ヒットシングルとなった。

愛と青春のトルバドゥールポルナレフが発表した最初の曲は「ノンノン人形」。1966年のことだった。驚くべきことは、レッド・ツェッペリンを結成する以前の、セッションギタリスト時代のジミー・ペイジが、このレコーディングに参加していることだ。

1970年のオランピア劇場でのライブのあたりで、ポルナレフ定番のスタイル、つまり白いフレームのサングラスに、金髪のカーリーヘアが確立されたという(井上陽水がこのスタイルを真似たらしい)。デビュー当時は、右側のジャケットのように髪もストレートで、メガネもかけていない。メガネをかけたのは目が弱く、極度の近眼だったせいらしいが、彼に得体の知れないミステリアスな雰囲気をまとわせることになった。あのハイトーンの声といい、確かにあらゆる面でエキセントリックで、それこそ宇宙人的なイメージがある。それゆえに、彼の風貌と行動は常にメディアの攻撃の対象になり、とりわけゲイだと噂されたりした。

極めつけは「お尻丸出し事件」。1972年に「ポルナレフ革命 Polnarévolution」と題したライブコンサートが再びオランピア劇場を舞台に行われた。その際、パリ中にコンサートを知らせるポスターが貼られたが、それはポルナレフがお尻を丸出しにしているセンセーショナルなものだった。ポルナレフは裁判所に呼び出され、「強制ワイセツ罪attentat à la pudeur」としてポスター1枚につき10フランの罰金を科せられた。

私はこの事件をアルバムのライナーノーツで読んだ。そういうポスターが街中の至るところに貼られてしまうフランスって一体どんな国なんだろうと、考えただけで頭がくらくらしたものだ。日本の片田舎に住む中学1年生の想像力をはるかに超えた、難解すぎるキャラだった。ポルナレフのおかげで私のフランスのイメージは初っ端から思い切り偏ったものになってしまった。問題のポスターは雑誌か何かで見た記憶があるが、今やコレクターズ・アイテムとなっている。私の記憶が正しければ、それは女装をして、スカートの裾をめくりあげてお尻を出していたような(※ポスターを見つけました。心してご覧ください)…ともかく、フランス中の顰蹙をかいながらも、コンサートは行われ、翌月の11月には日本に飛んでいる。

ついにポルナレフの来日が実現する。まずは日本武道館で開催された「第3回世界歌謡祭」にゲスト出演し、そのあと、郵便貯金ホール、新宿厚生年金ホールにて初の来日コンサートを行った。以後、1979年まで計4回の来日コンサート・ツアーが行われた。何度目の来日のときか定かではないが、NHKの歌番組「レッツゴーヤング」(思えば恥ずかしい番組タイトル)に出て、「シェリーに口づけ」を歌っているのを見た覚えがある。また当時のNHKのテレビのフランス語講座ではいつもポルナレフのビデオが流れていた。

2004年、ポルナレフは若い愛人と裸で抱き合っているところをスクープされ、その写真が「パリマッチ」の表紙になった。これもお尻丸出しだったが、それがポルナレフのものだったか、愛人のものだったか、記憶が定かではない。タイムリーにその号を入手できたのだが、うっかり捨ててしまった。あんな写真を表紙にするセンスも疑うけど、久々のポルナレフとの、それもあんまりな再会だった。50歳を過ぎていたはずだが、定番のメガネと髪は健在だった。

下は比較的最近出たベスト盤だが「愛の願い Love me please love me 」「愛の休日 Holidays 」「愛のシンフォニー」「渚の思い出」「哀しみの終わるとき Ça n'arrive qu'aux autres 」など、名曲をほぼ網羅している。私も買い直そうかな。

最新の話題と言えば、2007年に34年ぶりの復活記念コンサートをやったこと。日本でも朝日新聞が「団塊のアイドル復活」(私はそんな歳ではない)と大々的に報じていたが、パリ在住のポルナレフ・ファンの友人も勇んではせ参じていた。昔と同じサングラスとカーリーヘアだが、シルエットは完全にオッサンだ(↓)。

Lettre à France Michel Polnareff live 2007


ポルナレフ・ベスト
ポルナレフ・ベスト
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ミッシェル・ポルナレフ
ユニバーサルインターナショナル (2006/01/25)




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ラベル:Michel Polnareff
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