2013年03月11日

"Lys & Love" Laurent Voulzy

ロラン・ヴルズィーの才能は紛れもない。現存するポップソングメーカーのなかでは、世界的に見ても有数の存在と言っていいだろう。だが残念ながら、彼は本当に仕事をしない人(あるいは仕事が遅い人)である。オリジナルアルバムは、1979年の Le Cœur grenadine から前作の April まで4枚だけ。その April が出たのも10年前の2001年。発表当時そのすばらしい出来映えに感動しながら、次に新作にお目にかかれるのはまあ10年後くらいだろうと思ったのを思い出すが、実際に10年経った2011年の11月末、やっと新作オリジナルアルバム Lys&Love (リス&ラヴ)がリリースされた。大急ぎで取り寄せて聞いてみたが、これまでのヴルズィーとはずいぶん違ったサウンドになっていた。

ロックバンドのフォーマットは完全に姿を消し、彼の持ち味であったきらびやかなポップセンスも後退し、そのかわりシンセによる「エレクトロ色」と、教会音楽風のコーラス(ヴァンセンヌ城の主塔で録音されたらしい)などに見られる「中世趣味」が前面に出た作品となっている。最初は「あれ?」と思ったが、通して聞くとなかなかの傑作だということが分かった。内容的にも、時空(中世―現代、英―仏―イスラーム世界)を超えた愛をめぐる壮大なコンセプトアルバムである。ポップというより「プログレ」の範疇で語るべき作品という気さえするほどだ...。とはいえ、ポップの名工にして稀代のメロディメーカーであるヴルズィーの美質は失われてはいない。とりわけ、シングルカットされた Jeanne (ジャンヌ)と、ロジャー・ダルトリー Roger Daltrey がヴォーカルで参加している Ma seule amour (我が唯一の愛)の2曲は、天上的な美しさの、宝石のような佳品である。

私は生きているあいだにあと何枚のヴルズィーの新作アルバムに出会うことが出来るのか。Lys&Love が最後の出会いにならないことを心から願う。

‘Jeanne’ http://youtu.be/el0RwzHu7cw

Lys & Love
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2012年01月10日

アニメンティーヌ ~Bossa Du Anime~

なんやかんや言って2010年は『アニメンティーヌ~Bossa Du Anime~』がいちばん話題性があったのではないか。クレモンティーヌは何か吹っ切れた感じがする。「ゲゲゲの鬼太郎」のカバーが入った2枚目も出ている。10年7月にリリースされ、オリコンの週間アルバムランキング(全体)で18位まで浮上したのは9月6日。洋楽チャートでは1位の快挙。忘れてはいけない、このアルバムはフランス語で歌われているのだ。ポルナレフ以来の出来事かもしれない。学生と一緒に聴いたが、アニソンほど世代を超えて共有されているネタはないだろう。いつしかイントロ当てクイズ大会となっていた。アレンジも悪くない。クレモンティーヌは来日して「ほぼ日刊イトイ新聞」で Ustream ライブも配信していた。今年は坂本龍一や宇多田ヒカルのように大掛かりなライブを中継するというのもあったが、「ほぼ日」内の小さな会議室で気軽に演奏して、その映像を Ustream で流してしまうというのも、2010年の象徴的な風景だった。


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cyberbloom(初出2010年12月)

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2011年11月30日

Lhasa “I’m going in”

Lhasa2010年の始まりの日に37才で他界した Lhasa(ラサ)のこの曲を選んでみました。
 
乳がんを告知されてから約2年。繊細さと土の香りが同居する独特の声と英語、フランス語、そしてメキシカンである父の言葉であるスペイン語によるユニークな歌世界が評判を浴び、モントリオール発の新しい才能として世界的に知られるようになった矢先の死でした。
 
亡くなる前の年にリリースされたサードアルバムに収められているこの曲で、Lhasaは、遠からず訪れる自分の「死」について率直に歌っています。嘆きでも、お別れの歌でもありません。「生」の世界から、未知の「死」の世界へ向かうことを前向きに捉えています。自分を囲む人々の事を切り捨ててしまった訳ではない。しかし、今の私は旅立つ事に心を傾けたい、と。たんたんとしていて、それでもこちらの顔をしっかり見ているような歌声に、はっとさせられます。
 
この曲のことを教えてくれたのは、同じカナダのシンガー・ソングライター、ルーファス・ウェインライト。彼は今年1月に最愛の母、ケイト・マクギャリグルを病で失っていますが、この曲を聴いて死に引き寄せられつつある母の立場がどんなものかを感じることができた、とインタビューで語っています。家族の事を思ってか、「死」について口にせず「生きる」ことに前向きな姿勢を取り続けていた母の、表に現れない内面について思いを巡らせることができたのは、この曲のおかげだと。

世の中が、当然の事のように、2011年へと脇目もふらず突き進む今このときに、Lhasaが残したこの歌を聴くと、違った景色が見えてきます。

“Don’t ask me to reconsider
I am ready to go now”

http://youtu.be/6CEjujV8FtM

□初出2010年1月



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2011年11月15日

Jessye Norman “Je te veux”

Jessye Norman - Classics言わずと知れた、エリック・サティーの名曲。もはやミューザックの定番。メロディーを聞けば「あ、知ってる」と言われるような耳馴染みの曲となり、歌もの、インストゥルメンタルといろんなタイプの演奏があるのですが、個人的に大好きなのはソプラノ歌手、ジェシー・ノーマンのもの。

本来のこの曲は、喧噪と紫煙の中、アダっぽい女性がさっと歌うような、フランス小唄なのだと思います。歌詞もあからさまではないけれど、淫らな空気を漂わせている。だから、オペラチックに歌い上げるのは似合わないし、あまりお行儀良く可憐に歌われてもピンとこない。だからといって、あまりコケットを強調しすぎると、曲が壊れてしまう。サティーのメロディは、歌謡曲のそれのたくましさは持ち合わせていない。どうやっても上品、なのです。明るくて馥郁とした色香があって、下品に落ちない。歌い手にはなかなか手強い曲なのです。
 
ジェシー・ノーマンは場末のカフェなんぞ全く似合わない雰囲気のベテラン正統派ソプラノ歌手。上品なのはもちろんですが、フェミニンを強調しないゆたかな声であるのもプラスに働いています(コンサートでシューベルトの『魔王』を歌ってしまうようなひとなのです)。そして、何よりも印象的なのが彼女の歌いっぷり。もともとたっぷりとした容姿のひとなのですが、いつもの貫禄を忘れて、目の前の愛するあなたを食べちゃいたい、てな勢いではじらいと余裕が入り交じったふうにに歌うとき、この歌の持つ官能性がさらに清らかな甘さに昇華されるように思います。スタジオレコーディングではなく、ぜひ、コンサートの映像をご覧あれ!

□きれいな映像ではありませんが、こちらでどうぞ。
http://youtu.be/yEC-qikckCY



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2011年11月11日

ENZO ENZO ”Dream a little dream of me”

せちがらい世の中、ひとときでもゆったりのほほんとした気分にさせてくれる曲はないかな、と思いセレクトしたのが”Dream a little dream of me”。
 
ママス&パパスのオリジナルとばかり思いこんでいましたが、最初に世に出たのは何と1931年。リッキー・ネルソンのお父さんが最初に吹き込んだそうです。(聴くたびにそこはかとした昔懐かしさを感じていましたが、なるほど、そういう訳でしたか!)その後もポップス、ジャズ、ロックといろいろなジャンルで歌い継がれ、本国アメリカはもちろん世界中で親しまれています。
 
Carry on up the Charts: The Best of the Beautiful Southエトランゼの吐息

さてこの曲、フランス語のヴァージョンもあるんです。イギリスのバンド、ビューティフル・サウスが吹き込んだもの。メグ・ライアンがメグ・ライアンらしかった頃のチャーミングな映画『フレンチ・キス』で使われています。(最近では『プラダを着た悪魔』でもちらっと流れていましたね。)実は元々フランスのシャンソンだったんです、と言われても信じてしまうぐらい違和感のない仕上がりで、エンゾ・エンゾやシルヴィー・ヴァルタンといったフランス人のシンガーにも歌われています。
 
ちなみにフランス語ヴァージョンでは全く新しい歌詞が付いています。(タイトルも“les yeux ouverts”となりました。)オリジナルの歌詞が、現在進行形の甘い恋を歌うのに対し、フランス語の歌詞は「あなたとのあの素晴らしい思い出」をテーマとしたいささかビターな内容。どちらの歌詞をのっけてもまた違った世界が開けるのは、よくできたメロディのおかげでしょうか。

個人的な正調。ママ・キャスのたっぷりした歌声に包まれ夢見心地。
http://youtu.be/ajwnmkEqYpo

ビューティフル・サウスのフランス語版。
http://youtu.be/P1JhKQBSyuk

フランス人によるバージョン。エンゾ・エンゾの歌でどうぞ。
http://youtu.be/wLpB9xx2sHE





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2011年04月30日

Ours / Quand Nina est saoule (2007)

Mi cyberbloomさんがボサノヴァのことを書かれていたので、私もそれに便乗し、フランス語で歌われるボサノヴァタッチの名曲をひとつ紹介することにする。

 ウルスOurs(「熊」の意)は本名シャルル・スションCharles Souchon、フランスを代表するシンガー・ソングライター、アラン・スションAlain Souchonの次男(1978年生)。2007年、ファーストアルバム Mi を発表。冬の間ながらく部屋にこもってこのアルバムの準備をしていたことが、ウルスという芸名の由来だそうだ。

Quand Nina est saoule(「ニナは酔うと」)はこのアルバムのなかの一曲。酔ってすぐ寝てしまう、人生に退屈し、気まぐれで、高飛車で、でも愛すべき女の子のことを歌った歌(歌詞はここ)。ウルス自身が奏でるボサノヴァギターと彼のハスキーヴォイスが耳に非常に心地よい。

 この曲のヴィデオクリップは必見。 

アメリカの西海岸で撮影されたらしいが、ニナ役で出ている女性(オドレイ・トトゥと間違える人が多いと思うが、実はノーラ・ゼートナーNora Zehetnerというアメリカ女優。「HEROES」という人気ドラマに出演しているらしいが、私は全然知らなかった)がじつに魅力的だし、ヌーヴェル・ヴァーグ的味付けのきびきびとした演出も好ましい。さわやかで不思議な後味を残す映像である。(リンク切れになったので、ライブ版を http://youtu.be/PXjkMhNvW-Q)

Mi は優れたアルバムだし、この曲のほかにもボサノヴァの影響を感じさせる曲はあるが、全体としてみるとボサノヴァアルバムとは言えぬ。そのあたりはお間違えのなきよう。

ウルスの公式ホームページ(仏語)




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2010年05月03日

Shelby「1+1」(1999)

4.jpg ケレン・アンKeren Ann(本名Keren Ann Zeidel)は、1974年イスラエルに生まれ、オランダで育ち、11歳でパリに移住。19歳の頃から自作曲をたずさえレコード会社回りをしていたらしいが、結果ははかばかしいものではなかった。その後彼女はバンジャマン・ビオレーBenjamin Biolay(1973年生)と出会い、共同で曲を作り始める(私生活でも彼は彼女のパートナーとなる)。ビオレーの発案で彼女はシェルビーShelbyという3人組のユニット(ビオレーはメンバーに入っていない)を結成、1999年1月、シングル「1+1」でデビューする。

 ストリングスとギターをフィーチュアし、フランス語と英語半々で歌われるこの曲は小ヒットを記録する。ケレン・アンとビオレー(およびほか2名(詳細不明))の共作曲だが、発表の時期からいってふたりのコラボレーションの最初期に位置する作品だろう。名曲である。ケレン・アンといえば、張りつめた冬の空気を思わせる、低音で歌われるクールなフォークといったイメージが強い。だがこの曲は、どちらかというとアンチームな感じのスローなギターポップ。翌年に出る彼女のファーストアルバム中の「Décrocher les étoiles」や「Aéroplane」などと若干タッチが似ているが、その後の彼女の音楽にはあまりみられなくなる雰囲気の曲である。この曲はとても歌いづらかったと彼女はのちに述懐している――「ロック調」の曲が自分の声に合っていないと思っていたらしい――が、そういう感じはまったく与えない。浮遊感のあるヴォーカルはむしろとても魅力的だ。冬の夜に望遠鏡で天体観測をするメンバーたちがでてくるヴィデオクリップもなかなかいい(私は発表当時MCMで放映していたのを録画して持っていて、折に触れて見ている)。画面に映っているケレン・アン以外のメンバーは、グザヴィエ・ドゥリュオーXavier Druaut(ギターの男性)とカレン・ブリュノンKaren Brunon(ヴァイオリンの女性)。カレンはビオレーの音楽学校(リヨンのコンセルバトワール)時代の友人。のちにKaren Aprilの名で歌手としてシングル盤を出す。またヴァイオリニストとしてビオレーやケレン・アンを初めとする多くのアーティストのアルバムに参加している。グザヴィエのその後はよくわからない。

La Biographie de Luka Philipsen シェルビーでの活動についてケレン・アンは、あまりいい思い出を持っていないようである。彼女自身の言葉を引用しておく。「私たちはこの曲を、チャレンジのつもりで、また、仲間うちの楽しみのために世に出してみたいという気持ちは持っていた。(…)でも、レコード会社のグループの売り出し方には腹が立った。知らないあいだに写真や記事が勝手に出て、自分たちで管理することがまったく出来ず、耐えられない気持ちになった。あの連中は音楽のことなんか全然わかってなかった。私たちが出したのはシングル一枚っきり。でも、それだけの契約しかしなくてよかった。発売日の前日にはもうやめたいって思ってたし、みんなは私の決心を尊重してくれた。もちろんビオレーとの曲作りはそのあとも続けたけど」。

 だがこの曲は、ほどなく彼女とビオレーの未来に大きな影響を与えることになる。この曲を耳にしたことがきっかけでケレン・アンに関心を持ったラジオ・フランスの社員コリーヌ・ジュバールが、翌2000年に出た彼女のファーストアルバム「La biographie de Luka Philipsen」(大部分の曲がビオレーとの共作、またプロデュースもビオレー)を半ば引退状態にあった旧知の大御所歌手アンリ・サルヴァドールに送ったのだ。ケレン・アンの音楽にすっかり魅了されたサルヴァドールは彼女とビオレーに自分の新作への協力を申し込んだ。彼らの作品5曲を含むサルヴァドールのアルバム「Chambre avec vue」(2000)はミリオンセラーを記録し、ふたりは一躍スポットライトを浴びる存在になる....。

 彼らの公私両面にわたるパートナーシップは、ビオレーのファーストアルバム「Rose Kennedy」(2002)、ケレン・アンのセカンドアルバム「La disparition」(2002)まで続いたあと途切れるが、別れたあともふたりはそれぞれ、アーティストとしての(またビオレーはあわせて音楽プロデューサとしての)キャリアを着実に積み重ねている。


Nolita■「1+1」のCDは、現在入手不可。歌詞はここ(ただこの歌詞、ちょっと間違いあり)。ヴィデオクリップはここ。youtube のコメント欄では、このクリップの監督を名乗るRégis Fourrerという人が撮影時の思い出を語っている。

■Shelbyのデビューの詳細およびケレンアンの発言はLudvic Perlin, Une nouvelle chanson française : Vincent, Carla, M et les autres, ÉDITIONS HORS COLLECTION, Paris,2005.に依る。この本、昨今のフレンチミュージックシーンを知るには好適な書物。

■ケレン・アンのアルバムは間単に手にはいる。オススメしたいのはファーストアルバム「La Biographie de Luka Philipsen」と「Nolita」(2004)。

■バンジャマン・ビオレーについてはいずれ詳しい紹介をしたいが、とりあえず一枚オススメするなら、ファーストアルバム「Rose Kennedy」。

■アンリ・サルヴァドールの「Chambre avec vue」は国内盤(邦題「サルヴァドールからの手紙」)があるが、出来たらフランス盤を聴いてみてほしい。というのも国内盤ではケレン・アン=バンジャマン・ビオレーによる冒頭の2つの名曲Jardin d'hiverとChambre avec vueが、それぞれBRAZILIAN VERSION、ENGLISH VERSIONに差し替えられているため。やはりオリジナルの仏語ヴァージョンで聴きたいところだ。





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2010年04月11日

ジョニー・アリデーあるいはギターの弾けない(?)ロックンロールスター

jeanphilippe02.jpg ジョニー・アリデーはフランスで最も人気のある歌手のひとりである。「ロックンロールの帝王」である。還暦をとうに越えてはいるが、現在でもアルバムを出せば必ずチャート初登場一位だし、コンサートも老若男女でつねに満杯だ。しかも、60年代前半以降ほぼ半世紀に渡ってトップスターの座を守りつづけているという、とてつもない存在である。だが一方で、彼を嫌うフランス人もたくさんいる。その理由は、ロックアーティストというよりは芸能人的な音楽にたいするスタンス、マッチョな外見や態度、政治的な立場(サルコジスト)、税金逃れのための国外移住などの行為...とさまざまだ。それでもとにかく彼は、フランス最高のセレブリティのひとりであることに間違いはない。ただ、フランスおよびフランス語圏の国以外ではまったくといっていいほど無名であるが...。

 彼は少なくない本数の映画に役者として出演もしてきた。古いところでは「アイドルを探せ」(1963/ミシェル・ボワロンMichel Boisrond)などが思い出されようし、「ゴダールの探偵」(1985)にも出ている。最近では「列車に乗った男」(2002/パトリス・ルコントPatrice Leconte)が話題になった。「ジャン=フィリップ」Jean-Philippe(2006/ロラン・テュエールLaurent Tuel)は彼の最近の主演作(日本未公開)である。

 このコメディ映画で彼は「ジョニー・アリデーになれなかった男」(!)を演じている。以下、あらすじを少し紹介してみよう。ジョニー・アリデーの熱狂的なファンである中間管理職の男ファブリス(ファブリス・ルキーニFabrice Luccini)が、ある晩殴られて意識を失う。気がついてみるとそこはパラレルワールドだった。その世界は元の世界とほとんど同じだが、最大の違いは彼の生きがいであるジョニー・アリデーがいないということ。ジョニーの不在に耐えられないファブリスは、ジャン=フィリップ・スメットJean-Phillippe Smetという本名を手がかりに彼を探し回る。ついに見つかったジャン=フィリップ(演じるのは当然ジョニー自身)は、人生のある時点まではもうひとつの世界のジョニー・アリデーとまったく同じ道を歩みながら、ある運命のいたずら(詳細は言わないでおく)のせいでスター歌手になることはなく、ボーリング場経営者になっていた。その彼をジョニー・アリデーに変身させるべく、ファブリスは奮闘を始める...。

100% Johnny Live a La Tour Eiffel バカみたいな話だと思われる向きも多いだろうが、じつはこの映画、娯楽作品としてはけっこうよくできている。ファブリス・ルキーニのいつもながらの芸達者ぶりは言わずもがなだが、人生に疲れた初老の男を演じるアリデーの演技だって悪くない。アリデーにかんする伝記的事実(多くのフランス人にとっては常識に属する)をうまく織り交ぜたシナリオもよく練られたものだし、細部のギャグも秀逸、最後のオチも楽しい。欠点といえば、ジョニー・アリデーが――またファブリス・ルキーニが――フランスにおいてどういう存在であるのかを知らない人間からすれば、この映画のおもしろさの多くが理解しにくいと言うことだろう。

 ただこの映画を、スーパースターが気軽に出演したコメディとだけ見てしまうと、どうも大事なポイントを見落としてしまうように思える。というのも、注意深く見るとこの映画は、ジャン=フィリップのジョニー・アリデー化を物語ることを通じて、現実のジョニー・アリデーの理想化、神話化を企てているようにも思われるからだ(それがアリデー自身の意向によるものなのかどうかはよくわからないが)。

 アリデーには、ロック歌手にとっては明らかにマイナスイメージとなりうるふたつの弱点がある。まず彼が基本的に「他人が提供した曲を歌う歌手」であり、アーティストとしての個性が希薄であるということ。自作の曲もあるにはあるが、代表作はほぼ他人の手によるものである。(彼のアイドルであるプレスリーも作詞作曲はしなかったし、自作曲を歌うのでなければロック歌手としてはダメだ、というつもりはさらさらない。あくまでもビートルズ以降のロック界のスタンダードの話ということでご了解願いたい)。もうひとつは、彼は「ギターが全く弾けないか、弾けるにしてもさほどうまくないに違いない」こと。彼の弾き語り映像のどれを見ても、指使い(とくに左手)と曲調が合っているようには見えない。頭のてっぺんからつま先まで自信に満ちあふれているように見えるアリデーだが、なぜかギターを弾くときの両手の指だけは、自信なげな空虚感を漂わせている。私は長年彼のギター演奏能力について疑念を持ってきたが、フランスでも気になる人はたくさんいるようで、この点を問題にしている掲示板やブログをネット上でよく目にする(たとえばこれ)。

ゴダールの探偵 このふたつのマイナスイメージを、映画は巧妙に修正しているように見える。まず前者について。アリデーのレパートリーには、娘の誕生を題材にした「Laura」(1986)という曲があるが、この曲はじつはジャン=ジャック・ゴールドマンの作品である。ところが映画の中では、その事実は伏せられたまま、現実の世界で「Laura」が作られた頃、パラレルワールドのほうでもジャン=フィリップが息子の誕生に際し「Laurent」(!)という全く同じ内容の詩を書いていた、というエピソードが示される。要するにさりげなく、アリデーが自作派の歌手であるかのようなアピールがされているわけである(これは一種の「歴史修正主義」ではないか?)。また後者に関しては、まず、アリデーが若いころギターを習っていたという経歴がファブリスによってわざわざ語られる。さらにファブリスから「Quelque chose de Tennessee」(アリデーファンに最も愛されている曲のひとつ)のギターコード付きの歌詞を示されたジャン=フィリップが、初見で、ギターを弾きながらその歌を完璧に歌い上げるシーンがある。このときの彼の左手は、不思議なことにきちんと曲のコードに対応した動きをしている! ここでも「ギターが弾けないかもしれないロックンロールスター」というマイナスイメージが巧妙に修正されている(この場面は彼とこの曲の作者ミシェル・ベルジェの間にあった実話を元にしたものだという話もあるが)。

 映画のクライマックスで、ジャン・フィリップはギターを抱えてステージに現れる。そして自分にブーイングを浴びせかけるスタジアムを埋め尽くした観客たち(彼らのお目当てはほかにいる)を、その歌声であっという間に魅了する。ここにいたって彼はついに「ジョニー・アリデー」になるわけだが、その「ジョニー・アリデー」は、現実のジョニー・アリデーを越え、むしろ現実の彼がなりたいと考える――また、彼を嫌う人たちにも愛されるような――完全無欠のロックンロールスターに変身を遂げている...。さらにひとこと付け加えておくと、歌声ひとつで自分を知らない大観衆を征服する「ジャン=フィリップ―ジョニー・アリデー」の姿に、彼が熱望したにもかかわらず実現できなかった「アメリカ征服」という夢の残像を見るのも、あながち的はずれなことではないと思われる。

ジョニー・アリデーは昨年末、2009年に予定されているツアーをもってライブ活動から引退すると発表した。ステージ上の彼の姿が見られるのもあとわずかのあいだである。


■「ジャン=フィリップ」のDVDは仏盤/PAL方式のみ存在する。字幕は付いていない。

■ジョニー・アリデーのディスコグラフィは膨大すぎて、ベスト盤を紹介することさえ困難である。彼に興味を持たれた方には、まず最近のライブ盤DVDを視聴することをおすすめする。ゲストの多彩さ、選曲の良さ、野外コンサートの開放感を味わえる点などからいって「100% Johnny Live à la Tour Eiffel(2000)」(仏盤/PAL方式)が一押しである。アマゾンジャパンのカタログではリージョン1となっているがこれはたぶん2の間違いだと思う(確証はないが)。

■誤解のないように申し添えておくが、私はジョニー・アリデーが好きである。




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2010年04月05日

マルタン・ラプノー Martin Rappeneau

La Moitie Des Choses 日本にはフランスのポピュラーミュージックについていくつかの固定的なイメージが存在する。まず昔ながらの「シャンソン」のイメージ、ついで60年代から70年代前半にかけてよく聞かれたいわゆる「フレンチポップス」のイメージ、さらにはジャズ趣味やボサノバ趣味などと結びついた「おしゃれ」で「ハイセンス」な音楽のイメージなどである。「フレンチ」という語が音楽を形容するために使われるとき、それはたんに「フランス産」ということを示すにとどまらず、上記イメージと結びついた音楽的意匠を指す場合が多い。だが、これらのイメージはフランスの現実の音楽状況とはあまり関係がない。フランスではもっともっと多種多様な音楽が生み出され、また聴かれている。その中にはきわめて良質なものもある。だが、日本で紹介されるフランスの音楽は、上記のイメージに沿ったものにかたよる傾向があり、いくら良質でもこのイメージのフィルターに引っかからない音楽はなかなか日本に入ってこない。これは本当にオシイ。そういうオシイ音楽の一例が、今からお話しするマルタン・ラプノー。

 ビートルズとスティーヴィー・ワンダーにとりわけ大きな影響を受けたというマルタン・ラプノー(Martin Rappeneau 1976年生。ちなみに父親は映画監督ジャン=ポール・ラプノー)は、大学を出たあとひとりで音楽活動をしていたが、ある日偶然カフェのテラス席でサンクレール(Sinclair)を見かけ、声をかける。この、フレンチファンクの若きスターは、興奮状態で話しかけてきた見知らぬ若者に優しく接し、昼食に誘う。そのとき渡されたデモテープを聴いた彼はすぐにそれを気に入る。翌日彼はラプノーに電話をかけ、ふたりは親交を結ぶことになる...。この出会いがラプノーにとってミュージシャンとしての転機であったことはいうまでもない。2003年、彼はサンクレールとの共同プロデュースによるファーストアルバム La moitié des choses を発表する。初々しさと洗練、躍動感と静謐が絶妙に共存した、名曲揃いの佳作である。

 彼はまず自己表現ありき、といったタイプのアーチストではない。むしろ幅広い音楽体験を出発点に自らの音楽を知的かつ批評的に形成していくタイプの人だと思う(そのへんはサンクレールとも共通している)。一聴してわかることだが、彼はミシェル・ベルジェ(Michel Berger)とエルトン・ジョンに非常に多くのものを負っている。ゴリッとした感じの力強いピアノの響き、軽快に動き回るストリングス、甘いけれど芯のある高めの歌声はふたりの偉大な先達の若い頃の作品を思わせるし、メロディセンスも彼らとどこか似かよっている。もちろん彼が影響を受けたのはこのふたりだけではない。彼の曲のひとつひとつには、ほかにもいろんなアーティストの音楽の残響が聞き取れる。彼が影響を受けたと名指すミュージシャンやグループの名をいくつか挙げておこう。プリンス、ホール&オーツ、スティーリー・ダン、ジャクソン・ブラウン、アンドリュー・ゴールド、ジェームス・テイラー、クリストファー・クロス、マイケル・マクドナルド...。アメリカ人ばかりずらりと並んだが、私の感じたところではこのほかにザ・スタイル・カウンシルを初めとする80年代イギリスのブルー・アイド・ソウルにもかなり影響を受けていそうである。

 このアルバムの発表後、彼はルイ・シェディド(Louis Chédid あのMくん[Mathieu Chédid]のお父さん)、ガッド・エルマレ(Gad Elmaleh)などのステージのオープニング・アクトをつとめると同時に、自身のライブ活動も精力的にこなす。2006年にはセカンドアルバム L'âge d'or を発表。エルヴィス・コステロやマッドネスなどのプロデュースで知られるクライヴ・ランガー&アラン・ウィンスタンレーをプロデューサーに迎えイギリスで制作されたこのアルバムは、曲によってはブラス・セクションや女性コーラスをフィーチャーするなど音に厚みが増し、ゴージャスな造りになった。だが、アルバム全体の雰囲気に変化はさほど見られず、またソングライティング能力の高さは相変わらずで、前作と同様、珠玉の名曲がならんだチャーミングな傑作に仕上がっている。

 公式ホームページの質問コーナーで、ベルジェとの類似を指摘するファンのコメントに対しラプノーは次のように答えている[長い話を適当に再構成してある。ご了承願いたい]。「ぼくはベルジェの足跡を一歩一歩追いかけるつもりはない。ベルジェと同じスタジオを使ったのはそれがパリにある最良のスタジオだったからだし、ベルジェと同じアレンジャー、ベルンホルクも起用したけど、ぼくが最初に彼に注目したのはジュリアン・クレールのアレンジの仕事だったんだ。レコーディングの間、ぼくたちがベルジェを意識することはほとんどなかった...。ベルジェと比べられるのは仕方ないし、うんざりするってこともないよ。彼のことは大好きだからね」。いや、彼はおそらくかなりうんざりしているはずだ。近い将来彼は、ベルジェやほかの先人の名前を引き合いに出さなくてもすむような、オンリーワンの個性を持った偉大なアーティストになれるのだろうか。それは、今後いい曲をどれだけたくさん書き続けられるかにかかっていると思う。次のアルバムが楽しみである。



■ラプノーの2枚のアルバムは今のところ国内盤はない。ヴィデオクリップはファーストアルバムの限定盤(残念ながら現在品切)に付属したDVDで2曲見ることができる。彼のほほえましい大根役者ぶりが楽しめる"Encore"のクリップがとくにおもしろい。これはYou Tubeで探せば見つかる。

■ラプノーの経歴や発言はすべて公式ホームページの記述に依拠している。
http://www.martinrappeneau.net

■ミシェル・ベルジェ(この人についてはいつか詳しく書きます)を聞いたことがない人には2枚組のベスト盤Pour Me Comprendre(仏盤)をとりあえずオススメしておく。この夭逝した才人――フランス・ギャルの夫であり音楽上のパートナーでもあった――の代表作がおおむね網羅されている。同じタイトルで一枚物および3枚組のベスト盤、さらに12枚組のコンプリートボックスがあるので購入に際してはご注意を。




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